国境を越えた料理

英語圏も「日本生まれ」と書く洋食と中華:その発祥説はどこまで確かか

オムライス、ナポリタン、ドリア、ラーメン、天津飯。英語圏の食のサイトも日本生まれと紹介する料理の「発祥」は、誰がいつ主張しているのか。ホテルの発表、観光サイト、雑誌の記事を並べて確かめます。

洋食店風のテーブルに、オムライスの皿とナポリタンの皿、小さなサラダが並んでいる。

英語圏の食のサイトでは、オムライスやナポリタン、ドリア、とんかつ、カレーライスは「yōshoku(日本の西洋料理)」、ラーメンや天津飯、エビチリ、冷やし中華は「chūka(日本の中華料理)」として紹介されています。どれも日本で今の形になった料理だという点は、私たちが確かめた英語のサイトもすでに書いています。この記事は、その訂正ではありません。

むしろ一か所にまとめて見つけにくいのは、根拠のほうです。誰が、いつ、どの料理の発祥を名乗り、その主張はどこまで確かなのか。ホテル自身のプレスリリースが出どころの話もあれば、観光サイトが「説があります」と慎重に書く話もあり、対立する説にまったく触れない雑誌の記事もあります。

先に結論を書くと、洋食も中華も、単なる翻訳語ではなく日本の料理の区分です。辞書の定義は簡潔ですが、百科事典と料理の歴史を見ると、その中身がどれほど日本のものかがわかります。

「洋食」の2つの層

辞書の答えは短いものです。

「西洋風の料理や食事。西洋料理。⇔和食。」 — デジタル大辞泉(コトバンク)

日本国語大辞典もほぼ同じで、最も古い用例は1872年1月の横浜の新聞です。明治の初めには、すでに活字になっていた言葉です。

世界大百科事典(改訂新版)は、もう一歩踏み込みます。イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカなどの料理の総称としての「西洋料理」と、洋食を分けているのです。

「西洋の料理を意味することばだが,……洋食には多分に日本的な要素がふくまれている。」 — 世界大百科事典 改訂新版(コトバンク)

同事典によると、西洋料理は明治期には上流階級の宴会料理として始まり、町の料理人がそれを作り変え、大正期(1912〜1926年)には「洋食屋」で出される日常の食事になりました。その背景として、米、みそ、醤油で育った日本人の好みを挙げています。例に挙がるのは、カツレツ、メンチボール、コロッケ、ライスカレー、ハヤシライス、オムライスです。

この落差が要点です。辞書の言葉としては洋食は「西洋料理」ですが、洋食と聞いて思い浮かぶ料理は、西洋風に作られた日本の料理です。アメリカの食のサイト Tasting Table は、オムライスを「日本で独自に発展した西洋風の料理」と書いていて(英語の原文を訳したもの)、この2つめの層をよくとらえています。

「中華」の定義

中華料理については、辞書の見方が分かれます。日本国語大辞典は中国料理と同じものとし、正宗白鳥の『人間嫌ひ』(1949年)を用例に挙げています。デジタル大辞泉は、2つめの意味を加えています。

「「中国料理」に同じ。また、卓袱料理・普茶料理など、日本でアレンジされたものをいう。」 — デジタル大辞泉(コトバンク)

中華については、辞書の一つがすでに日本の層を含めているわけです。ただし例に挙がるのは卓袱料理や普茶料理という古い様式で、ラーメンや天津飯ではありません。

洋食:誰が何を主張しているか

料理発祥とされる店主張に出てくる年資料の内容資料の種類
オムライス煉瓦亭(東京・銀座)1895年創業。1900年とする説も(Tasting Table)オムライスの元祖、名付け親とされる旅行サイト、テレビの特集、アメリカの食のサイト
オムライス北極星(大阪)1925年(創業1922年)ここで生まれたという「説がある」大阪の観光サイト
ナポリタンホテルニューグランド(戦後2代目の総料理長・入江茂忠)1952年の接収解除後占領期に米兵が食べていたケチャップのスパゲッティを入江が作り変えたホテルの公式サイト、プレスリリース
ドリアホテルニューグランド(サリー・ワイル)ワイルの来日は1927年10月29日。料理の年は記載なし体調を崩した客のためにワイルが考案ホテルのプレスリリース
プリン・ア・ラ・モードホテルニューグランド戦後の占領期ホテルのパティシエが考案ホテルのプレスリリース
ポークカツレツ煉瓦亭1895年創業元祖とされる旅行サイト、雑誌
とんかつ島田(ぽん多本家の創業者)/ポンチ軒(東京・上野)ぽん多本家の創業は1905年、ポンチ軒は1929年(和樂)資料によって役割が違う。和樂は起源は不明としている店主のインタビュー、雑誌(ユーモア形式)
カレーライス——日本のカレーはインドのカレーではないを参照—

オムライス:2つの店

大阪の観光サイト osaka-info.jp は、北極星の話を慎重に書いています。オムライスは1925年に大阪で生まれたという「説」がある、という書き方です。胃の弱い常連客が毎日オムレツと白いご飯を食べていたので、店主がケチャップライスを薄焼き卵で包んで出した。料理の名前を聞かれて、店主はその場でこう名付けたといいます。

「オムレツとライスを合わせたオムライスでんな」 — osaka-info.jp に引かれた店主の言葉

同サイトは店の創業を1922年としていて、ほかの店には触れていません。

銀座の煉瓦亭にも、別の主張があります。旅行ガイドの LIVE JAPAN は創業を1895年とし、ポークカツレツとともにオムライスの元祖としています。2026年のテレビ東京の特集は、煉瓦亭を「オムライス」の名付け親で、今に近い料理を生んだとされる店として紹介していますが、年は書いていません。Tasting Table の2023年の記事は、煉瓦亭のオムライスは1900年に登場したと「言う人もいる」と書き、どちらが先かは決めていません。1900年とする店自身の資料は、私たちには見つけられませんでした。

どちらの店も名付け親とされていて、どちらの主張も決着していません。

ナポリタン:ホテルの説明と英語の記事のずれ

ホテルニューグランドは2024年7月のプレスリリースで、シーフードドリア、プリン・ア・ラ・モードとともに、スパゲッティナポリタンを「発祥メニュー」に挙げています。ホテルの公式サイトの「発祥」のページは、さらに詳しく書いています。ホテルは1952年までGHQの将校の宿舎として接収され、米兵はゆでたスパゲッティを塩、こしょうで味付けし、トマトケチャップであえたものをよく食べていたそうです。「接収解除後」、彼らが持ち込んだ大量のスパゲッティが残されていたことから、戦後2代目の総料理長の入江茂忠が、ホテルにふさわしいスパゲッティ料理を工夫したという説明です。考案した年は書かれていません。

英語圏の記事は、同じ話を少し変えて伝えています。Tasting Table の2026年の記事は「〜と考えられている」「〜といわれる」と留保をつけながら、時期を「1950年代」とし(ホテルのページには年はなく「接収解除後」とだけあります)、入江はトマトピューレを使ったと書いています。トマトピューレはホテルのページにはなく、ホテルは自社のソースを、生のトマト、トマト缶、トマトペーストで作ると説明しています。

プリン・ア・ラ・モードについては、ホテルは占領期の話を添えています。2024年のリリースによると、当時のパティシエがアメリカの将校とその夫人たちを喜ばせようと考案し、名前は夫人たちが付けたといいます。

ドリア:いちばん資料のそろった話

ここに挙げる料理のなかで、一次資料がいちばんはっきりしているのがドリアです。

「ホテルニューグランドの発祥メニューである「ドリア」は、初代総料理長サリー・ワイルが考案したお米を使用したグラタン料理です。」 — ホテルニューグランド プレスリリース(2024年10月17日)

リリースによると、ワイルはスイス出身の料理人で、1927年のホテル開業にあたってパリから招かれました。来日は1927年10月29日、30歳のときです。滞在していた外国人の銀行家が体調を崩し、のどを通りやすいものを頼んだので、ワイルがその場で考えたのがドリアだといいます。

注意が一つあります。リリースは、ワイルがドリアを考案した年を書いていません。「1927年に考案」は資料の範囲を超えていて、「1927年に来日したサリー・ワイルが考案」なら資料どおりです。ホテルはワイルの来日日の10月29日を「ドリアの日」としていて、2021年7月のプレスリリースでは、日本記念日協会に正式に認定されたと発表しています。

カツレツからとんかつへ

三菱電機の会員サイト CLUB ME の、日本の食卓の100年をたどる連載のインタビュー(2019年)で、上野・ぽん多本家の4代目、島田良彦さんは、とんかつを、明治期に西洋から来た子牛のカツレツ(コートレットやウィンナーシュニッツェル)を豚肉に置き換えたものと説明しています。記事によると、店は1905年に、宮内省の大膳寮で西洋料理を作っていた島田が創業し、創業者は当時上野にあったポンチ軒へ技術を教えに行ったといいます。

小学館のウェブマガジン「和樂」の2020年の記事は、とんかつ自身に話を聞く軽い「架空インタビュー」の形で、別の話をしています。カツレツを考えたのは煉瓦亭の店主・木田元次郎だとし、1929年に元宮内省の料理人・島田がポンチ軒に入り、「とんかつ」とひらがなで名付けたといわれる、と書いたうえで、起源ははっきりしないと添えています。

2つの記事では、島田の役割(教えに行った人か、1929年からのポンチ軒の料理人か)も、名前の漢字(信治郎と新二郎)も違います。「とんかつ」という名前を最初に使ったのが誰かを決める資料は、見つかりませんでした。とんかつにかけるソースについては日本のソースの種類で書いています。

中華:誰が何を主張しているか

料理発祥とされる店・人主張に出てくる年資料の内容資料の種類
ラーメン来々軒(東京・浅草)1910年「最初のラーメン店」(農林水産省)、ラーメンブームを起こした店(横浜の観光サイト)行政、市の観光サイト
天津飯来々軒(東京)または大正軒(大阪)記載なし2つの説がある旅行サイト(JTB)
エビチリ陳建民とされる(不確か)1958年(英語の資料のみ)辛さを和らげるためにケチャップを加えた小売サイトのレシピブログ(英語)。日本語の資料では確認できず
日本風の麻婆豆腐陳建民来日は1952年作り変えて広めた。発明したわけではない雑誌、ニュースのコラム
冷やし中華揚子江菜館(東京・神保町)1933年2代目の店主が考案雑誌の特集
冷やし中華龍亭(仙台)1937年創業者が紹介した「といわれる」ニュースの特集

ラーメン

農林水産省は、新横浜ラーメン博物館と作った記事で、ラーメンを中国の麺料理と日本の食文化が融合したものとして説明し、来々軒についてははっきり書いています。

「1910年に東京・浅草にオープンした「来々軒」は、中国の麺料理と日本の食文化を融合させた最初のラーメン店でした。」 — 農林水産省(Google Arts & Culture)

横浜市の公式観光サイトは、尾崎貫一が横浜中華街に住んでいた広東出身の中国人12人を招いて、1910年に来々軒を開いたと書いています。同時に、日本のラーメンの本当の発祥地はまだ議論があるとし、ラーメン博物館は来々軒を日本のラーメンブームを起こした店と位置づけている、と紹介しています。理由の一つは、支那そば、ワンタン、シュウマイといった日常の料理を安く売る新しい商売を広めたことです。

天津飯

JTBが運営する旅行サイト FUN! JAPAN は、天津飯を「日本生まれ」の料理とし、広東料理のかに玉(芙蓉蟹)をご飯にのせ、甘酢あんをかけた形に変えたものと説明しています。発祥とされる店は東京の来々軒と大阪の大正軒の2つで、東京周辺はケチャップを使った甘いあん、関西は醤油ベースのあっさりしたあん、という地域差にも触れています。象印のアメリカ向けの英語ブログも、同じ2店の話を紹介しています。どちらも年は書いていません。

麻婆豆腐、エビチリと陳建民

小学館の雑誌「サライ」によると、陳建民は1952年に四川から来日し、のちに日本国籍を取りました。故郷の料理を日本の調味料で作り、日本人に合わせて辛さを抑えたといいます。「現代ビジネス」の2022年のコラムは、陳が東京・赤坂に四川飯店を開き、NHKの「きょうの料理」でレシピを紹介したと書いたうえで、一点をはっきりさせています。

「だが、麻婆豆腐は陳建民氏の発明品ではない。」 — 近藤大介「現代ビジネス」(2022年10月23日)

四川飯店のシンガポール店についての2017年のプレスリリースは、陳が1958年に日本で最初の四川料理店を開いたとしています。

英語圏では、エビチリも陳建民の考案とされていますが、このつながりは確かではありません。見つかった資料は、日本の食品も売っている英語のサイト Japanese Taste のブログだけでした。陳が1958年に四川飯店で、中国の干焼蝦仁をもとにこの料理を出し、「豆板醤の辛さを和らげるためにケチャップを加えた」と書いています(英語の原文を訳したもの)。私たちが読んだ日本語の資料には、エビチリもケチャップも出てきませんでした。

冷やし中華

「サライ」の2017年の記事は、神保町の揚子江菜館を発祥の店とし、店の言葉を引いています。「冷やし中華はうちの二代目が始めました」。時期は1933年で、2代目の店主は近くのそば店「神田まつや」のもりそばに着想を得て、200回以上試作したといいます。記事は揚子江菜館を冷やし中華の発祥の店として紹介し、ほかの説には触れていません。

All About の2023年の記事は、仙台の説を紹介しています。1937年、中華料理店「龍亭」の創業者が、自分で考えた冷たい麺料理を組合の仲間に披露した「といわれる」というものです。同じ記事は、起源には議論があるとも書いています。どちらの店自身の記録も、私たちには見つけられませんでした。

文化庁の「100年フード」

文化庁は、地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化を「100年フード」として認定しています。部門は3つで、江戸時代から続く郷土の料理の「伝統」、明治・大正期に生まれた食文化の「近代」、そして100年続くことを目指す「未来」です。

2025年3月の発表に添えられた都道府県別の累計一覧(その年に加わった50件を含めて計300件)には、洋食と中華がたくさん入っています。

  • 麺: 喜多方ラーメン(福島)、酒田のラーメン(山形)、サンマーメン(神奈川)、富士宮やきそば(静岡)、横手やきそば(秋田)、小樽あんかけ焼そば(北海道)
  • 餃子: 宇都宮餃子(栃木)、津ぎょうざ(三重)
  • 洋食: 群馬と福井のソースカツ丼、ボルガライス(福井)、佐賀シシリアンライス、海軍ゆかりの食文化(海軍カレー、ビーフシチュー、肉じゃが)

ナポリタン、ドリア、オムライスの名前は、一覧には見当たりませんでした。

発祥の話をどう読むか

ここで使った資料は、発祥を名乗る当事者自身の言葉(ホテルニューグランド、ぽん多本家の店主)、行政(農林水産省、文化庁)、公式の観光団体(大阪、横浜)、そしてメディアによる紹介に分かれます。当事者の発表からわかるのは、その当事者が何と言っているかであって、ほかに先に作った人がいないことではありません。ナポリタンの例のように、英語圏の記事が言い換えるうちに、年や材料が当事者の説明からずれることもあります。逆向きの例、つまり日本の外で形になった「日本料理」については、海外で生まれた日本料理をどうぞ。

よくある質問

英語圏では、洋食や日本の中華はどう紹介されていますか。 私たちが確かめた英語の食のサイトは、オムライスやナポリタン、天津飯などを、日本で独自に発展した料理として紹介しています。ただ発祥の話は、年や材料が日本の資料と食い違うことがあります。

オムライスの発祥は煉瓦亭ですか、北極星ですか。 どちらも名付け親とされています。大阪の観光サイトは1925年に北極星で生まれたという説を紹介し、1895年創業の煉瓦亭も元祖とされています。どちらの主張も決着していません。

ナポリタンは本当にホテルニューグランド発祥ですか。 ホテル自身がそう説明しています。1952年の接収解除後に、戦後2代目の総料理長の入江茂忠が、占領期に米兵が食べていたケチャップのスパゲッティを作り変えたという話です。ただ、それはホテルの発表であって、ほかに先例がなかったことの証明ではありません。

エビチリにケチャップを入れたのは陳建民ですか。 英語の資料にはそう書かれていますが、私たちが読んだ日本語の資料では確認できませんでした。陳建民が日本人向けに作り変えて広めたことがはっきりしているのは、麻婆豆腐です。

この記事の調べ方

主に日本語の資料によっています。コトバンクの辞書と百科事典の項目、ホテルニューグランドの公式サイトとプレスリリース、文化庁の100年フードの発表と一覧、農林水産省のラーメンの記事、大阪と横浜の観光サイトです。公式の記録がないところは、名前のわかる雑誌やニュースの記事を使い、表に資料の種類を書きました。英語のページは、英語圏でこれらの料理がどう説明されているかの例として使っています。日本語資料からの引用は原文のまま、英語資料からの引用は当サイトの訳です。この記事に作り方はなく、当サイトで調理や試食はしていません。

参考資料

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