国境を越えた料理

「モチアイスはアメリカ生まれ」は本当か:雪見だいふくと三河屋の物語

英語圏では、もちで包んだアイスはロサンゼルスの三河屋が発明したとよく書かれます。けれども雪見だいふくの発売は1981年で、アメリカでの発売より10年以上早いものでした。両方の記録を並べて確かめます。

粉をまぶした丸いもちアイスが2つ、黒い皿にのっている。1つは半分に切られ、中のバニラアイスが見える。

アメリカでは、もちで包んだアイスは「mochi ice cream」としてスーパーの冷凍売り場の定番です。英語で「誰が発明したのか」を調べると、たいてい一人の名前が出てきます。ロサンゼルスのリトルトーキョーで和菓子店の三河屋(Mikawaya)を営んだフランシス・ハシモト(Frances Hashimoto)氏です。ある料理サイトは、見出しで「日本ではなくアメリカで発明された」と書いています(英語の原文を訳したもの)。

日本の読者なら、雪見だいふくを思い浮かべるはずです。ロッテが雪見だいふくを発売したのは1981年10月で、社史は大ヒットと記しています。三河屋のモチアイスはそのあとです。ハシモト氏の夫ジョエル・フリードマン(Joel Friedman)氏によると、発想を得たのは1984年の日本旅行で、ハワイで売り出したのは1994年4月でした。

三河屋の功績が小さくなるわけではありません。モチアイスをアメリカの冷凍売り場の定番にしたのは同社です。ただ、もちで包んだアイスは、三河屋の商品がアメリカの店に並ぶ10年以上前から、日本で売られていました。

要点

  • 日本のほうが早い。 ロッテの社史では、雪見だいふくの発売は1981年10月です。
  • 最初はマシュマロだった。 プレジデントオンラインのロッテへの取材によると、前身の「わたぼうし」は1980年9月の発売で、アイスをマシュマロで包んでいました。
  • アメリカで広めたのは三河屋。 フリードマン氏は、1984年の日本旅行で発想を得て、1994年4月にハワイで売り出したと書いています。
  • 英語の資料は年がそろっていない。 1993年、1994年、「1990年代初め」とまちまちです。フリードマン氏自身は1994年4月としています。
  • 皮はつき餅ではない。 ロッテは羽二重粉を使うとしており、原材料表示の先頭は砂糖と水あめです。辞書の定義でいえば求肥に近いものの、ロッテ自身は「おもち」と呼んでいます。英語圏では皮を「gyuhi」と紹介するページもあります。

日本の記録:マシュマロから、もちへ

ロッテの沿革によると、同社がアイスクリームに参入したのは1972年3月です。

2022年のプレジデントオンラインの記事は、ロッテのブランド戦略部の大塚氏への取材をもとに、始まりを紹介しています。最初の「わたぼうし」は1980年9月の発売で、マシュマロでアイスを包んだものでした。手本は、博多の石村萬盛堂の「鶴乃子」です。ロッテ自身も2021年のプレスリリースで、鶴乃子を雪見だいふくのヒントとしています。冬に暖かい部屋でアイスを食べてもらえるのでは、という発想だったと大塚氏は話しています。

次がマシュマロをもちに替える段階でした。もちは冷えると固くなりやすい、と記事は課題を挙げています。開発陣はもち粉の品種や産地、糖の配合、粒の細かさなど膨大な組み合わせを試し、アイスを包む機械も新たに作ったといいます。配合の詳細は公開されていません。

わたぼうしの約1年後に発売され、社史はこうまとめています。

「アイスクリームの常識を変えた空前の大ヒット商品となる。」 — ロッテの歩み(1981年10月)

社史には、1984年6月の学校給食への採用、2016年の35周年、もちの弾力を高めた2021年の40周年のリニューアル、2024年のチルド版の発売も記されています。商品ページでは、1箱は47mLが2個で、種類別は「アイスミルク」です。

皮は「もち」か「求肥」か

英語のページは、雪見だいふくの皮を「gyuhi」と説明することがあります。たとえば Just One Cookbook は「もちの一種である求肥で包んだバニラアイス」と書いています(英語の原文を訳したもの)。

厳密に言えば、区別には根拠があります。デジタル大辞泉では、餅はもち米を蒸して臼でつき、形を整えたものです。日本大百科全書(ニッポニカ)は、求肥をこう説明しています。

「白玉粉を蒸して白砂糖、水飴を加え、加熱しながら半透明になるまで練り上げる。」

ある百科事典は、粉1に対して砂糖2、水飴1という配合も挙げています。同じニッポニカによると、もとは黒糖を使って牛の皮のような色だったので「牛皮」と書き、のちに同じ読みの「求肥」に改めたとされます。

ロッテの原材料表示は、アイスも含めた商品全体で、砂糖、水あめ、もち米粉の順です。皮には羽二重粉を使うとしていますが、皮だけの配合は公開していません。粉から作り、甘みをつけた皮は、辞書の定義でいえばつき餅より求肥に近いものです。それでもロッテは、ブランドページでも商品ページでも「求肥」とは言わず、「おもち」と呼んでいます。

「オリジナルレシピで作られた 冷凍下でもやわらかく弾力のあるおもち。」 — ロッテ「雪見だいふく」ブランドサイト

コトバンクのある食の事典は、求肥そのものを「餅状のもの」と説明していて、日本語の使い方は厳密な定義よりゆるやかです。ロッテの言い方は誤りではありません。正確を期すなら「求肥と同じ作り方の皮」と言えばよいでしょう。

アメリカの記録:三河屋、1984年と1994年

三河屋の歴史は、1900年代初めのリトルトーキョーにさかのぼります。ロサンゼルスの日系紙『羅府新報』に2021年に寄稿したフリードマン氏は、店の正確な創業年は家族の誰も知らず、「いつも1910年から数えていた」と書いています(英語の原文を訳したもの)。AP通信の2012年の訃報によると、ハシモト氏は1970年に家業を継ぎ、1軒の店からずっと大きな会社に育てました。

モチアイスの由来について、アメリカ側で一次資料にいちばん近いのは、このフリードマン氏の文章です。ロサンゼルス五輪の年だった1984年に日本を訪れ、三河屋がある和菓子に使っていたのと同じような皮で、あんの代わりに上質なアイスを包むことを思いついた、と書いています。帰国後、夫婦で取り組む価値があると決めました。日本で何を見たり食べたりしたのかは書いておらず、ロッテや雪見だいふくにも触れていません。

発売はその10年後です。フリードマン氏は「1994年4月、モチアイスは世界デビューを果たした」と書いています(英語の原文を訳したもの)。最初はハワイで、発売から3か月でアイスのノベルティ市場の14%を占めたといいます。その後、寿司店、アジア系スーパー、トレーダー・ジョーズへと広がりました。

ハワイでの発売からトレーダー・ジョーズの棚まで広げたのは確かな功績で、AP通信もハシモト氏を普及させた人としています。アメリカの商品は、れっきとしたアメリカの商品です。成り立たないのは、もちでアイスを包むという発想そのものがアメリカで始まった、という主張のほうです。日本ではその10年以上前から商品が売られていました。

英語のページは何と書いているか

よく読まれている英語の資料3つと、一次資料が示すことを並べます。引用はいずれも英語の原文を訳したものです。

資料書いていること記録が示すこと
Tasting Table(2025年)「モチアイスはフランシス・ハシモトが発明した」「三河屋は1993年に販売を始めた」。見出しは「日本ではなくアメリカで発明された」ロッテは1981年に日本で発売。フリードマン氏は三河屋の発売を1994年4月としている。1993年の一次資料は見つからなかった
Just One Cookbookハシモト氏の発明とし、「1990年代初め」、「1994年にハワイで初めてデビュー」と書く。筆者は子どものころ雪見だいふくを食べた思い出も書いているハワイ1994年はフリードマン氏の説明と一致。同じページは雪見だいふくを「80年代に人気の日本のデザートだった」とも書き、ハシモト氏の発明とする「1990年代初め」より前になる
AP通信(2012年)同社がモチアイスを「普及させた」とし、「1990年代にハシモト氏か夫が発明して売り出したとする資料もある」一方、「10年前に韓国の会社が作ったとする資料もある」と書くAP通信は発明者を断定せず、その会社名も挙げていない。ロッテの日本の社史には1981年の発売が記されている

Tasting Table は日本にまったく触れていません。Just One Cookbook と AP通信は、より早い商品の存在をにおわせながら、アメリカの商品を発明として扱っています。Tasting Table は、ハシモト氏が初めてアイスをもちで包んだのは「1980年代」とも書いていますが、一次資料では確認できませんでした。フリードマン氏の文章は発想を1984年としていて、最初の試作の時期は書いていません。

こうしたずれがどう生まれるかは、英語の日本料理レシピは何を間違えているのかで書きました。

では、誰が発明したのか

「モチアイス」が何を指すかによります。

  • やわらかい米の皮でアイスを包んだものなら、ロッテが1980年のマシュマロ版を経て、1981年10月から雪見だいふくとして売っていました。
  • アメリカの店で売られている多くの味のモチアイスなら、三河屋が開発し、1994年4月にハワイで発売しました。ハシモト氏とフリードマン氏の功績とするのは妥当です。

わからないのは、フリードマン氏が1984年の旅行で雪見だいふくを見たかどうかです。本人は書いておらず、決め手になる資料も見つかりませんでした。影響を受けたのかもしれませんし、2人が別々に似た発想にたどり着いたのかもしれません。ただ、出来事の順番に争いはありません。一行でまとめるなら、記録で確かめられるもっとも早いもちで包んだアイスは1981年の日本のもので、1990年代にアメリカでヒットさせたのが三河屋です。

食べ方と保存:メーカーの説明

日本の読者にはなじみのある内容なので、要点だけ挙げます。ロッテの商品ページは−18℃以下での保存を指示し、ブランドサイトの「おすすめの食べ方」では、室温25℃で8分おく方法を挙げています(冷凍庫の機種や保存状態で変わるとの注記つき)。電子レンジなら600Wで8秒と20秒の例があり、必ず皿に移して、ラップは不要としています。商品ページには次の注意書きもあり、付属のフォークをほかの用途に使わないようにとも書いています。

「お召し上がりの際はのどにつまらせないようご注意ください。」

これはロッテの商品についての説明です。アメリカのブランドにはそれぞれの表示があるので、そちらは買った箱の説明に従ってください。

よくある質問

アメリカではモチアイスはどこの発明だとされていますか。 英語の資料の多くは、ロサンゼルスの三河屋のフランシス・ハシモト氏と夫のジョエル・フリードマン氏の発明としています。「日本ではなくアメリカで発明された」と見出しに掲げるサイトもあります。

雪見だいふくとアメリカのモチアイスは、どちらが先ですか。 雪見だいふくです。ロッテの社史では発売は1981年10月で、フリードマン氏によると三河屋のモチアイスがハワイで発売されたのは1994年4月です。フリードマン氏が日本で発想を得たのは1984年ですが、雪見だいふくを見たかどうかは書いていません。

三河屋のモチアイスの発売は1993年ですか、1994年ですか。 資料によって違います。Tasting Table は1993年、Just One Cookbook とフリードマン氏は1994年で、フリードマン氏は4月としています。1993年の一次資料は見つかりませんでした。

この記事の調べ方

日本側は、ロッテ自身のページ(沿革、雪見だいふくのブランドサイトと商品ページ、2021年のプレスリリース)によっています。わたぼうしと開発の経緯は、2022年のプレジデントオンラインのロッテへの取材記事、餅と求肥の定義はコトバンクの辞書・事典によります。アメリカ側は、フリードマン氏が2021年に『羅府新報』に書いた本人の文章と、AP通信の2012年のハシモト氏の訃報によります。Tasting Table と Just One Cookbook は、英語のページが由来をどう書いているかの例です。日本語資料からの引用は原文のまま、英語資料からの引用は当サイトが訳したものです。フリードマン氏が日本で雪見だいふくを見たかどうか、1993年という年の根拠は確認できませんでした。作り方は載せておらず、当サイトでの試食もしていません。

参考資料

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